理事長のあいさつ

社会に貢献できる産業人へ 理事長 川島 英和
川島学園の起源は、鹿児島実業高等学校の前身が大正5年に創設されたことに遡り、平成27年度で100年の歴史を重ねます。
本校は、校訓「不屈不撓」の精神のもと、昭和45年鹿児島実業高等学校内に誕生。グローバルな新時代の息吹の中、新しい産業社会の構築によって国家の繁栄と国民の福利を図ろうとする我が国の方針に呼応し、真に社会に貢献できる産業人の育成に努めてきました。
そして今日まで本学園の歴史と伝統に沿い、社会の変遷に即応し、常に進化を重ね、平成26年4月から従来の電気・自動車に建築の分野を加え、最新にして最高の技術を誇る県内唯一の工学系専門学校として新たにスタートしました。
これからも、社会に歓迎される「有能な技術を有する産業人」の育成に取り組む専門学校であり続けます。
学校長のあいさつ

ジブン色の夢を叶えよう 学校長 村田 直志
本校は「社会に貢献できる産業人の育成」という建学の精神のもと、企業が求める「真のスペシャリスト」の育成を目指す鹿児島県で唯一の工学系専門学校です。皆さんも本校で資格取得に果敢にチャレンジし、専門的な技術を極め、いかなる状況にも打ち勝てる逞しい人間力と高い見識を身につけませんか。本校の職員一同で、皆さんのジブン色の夢を叶えるために、サポートします。
沿革
大正 5年10月 | 川島隼彦私立鹿児島実業中学館を鹿児島市西千石町番所小路に創立。 |
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昭和26年 2月 | 学校法人川島学園認可。 |
昭和45年 2月 | 学校法人川島学園電気工事士専門学校設置(設置学科電気工事士科)。 鹿児島県知事より認可を受ける(鹿児島実業高校内に併設)。 |
昭和45年 3月 | 学校法人川島学園電気工事士専門学校が通商産業大臣より養成施設の指定を受ける。 |
昭和53年 4月 | 専修学校法に基づき学校法人鹿児島電気工事専門学校を鹿児島高等電気専修学校と校名変更。 |
昭和54年12月 | 電気工事士科定員増加。 電気技術工学科・自動車整備工学科が鹿児島県知事より認可を受ける。 |
昭和55年 3月 | 鹿児島市城西2丁目1番23号(鹿児島実業高校内)から鹿児島市明和4丁目1番5号へ移転。 |
昭和55年 4月 | 鹿児島高等電気専修学校を鹿児島工科専門学校と校名変更。 |
昭和56年 2月 | 自動車整備工学科が運輸大臣より養成施設の指定を受ける。 |
昭和56年 8月 | 電気技術工学科が通商産業大臣より養成施設の指定を受ける。 |
昭和57年 4月 | 鹿児島工科専門学校が労働大臣より職業紹介事業許可を受ける。 |
昭和61年 4月 | ビジネスコンピュータ科・情報処理科新設。 |
昭和62年10月 | 電気工事士科が労働大臣より高齢者に対する養成施設の指定を受ける。 |
昭和62年12月 | ビジネスコンピュータ科が近畿大学短期大学部通信教育部商経科の併修校となる。 |
昭和63年 4月 | 情報システム工学科新設。 |
平成 7年 1月 | 専門士の称号付与認可(文部大臣) |
平成 8年 4月 | 鹿児島工科専門学校をKUCユニバーサルカレッジと校名変更。鹿児島市明和4丁目から現在地へ移転。電気技術工学科を総合電気工学科、自動車整備工学科を自動車工学科、ビジネスコンピュータ科をビジネスアドミニストレーション科、情報システム工学科をマルチメディア科と科名変更。 |
平成10年 4月 | 国家公務員技術専攻科新設、ビジネスアドミニストレーション科を国際経営科と科名変更。 |
平成11年 2月 | 総合電気工学科が建設大臣より電気工事施工管理技術検定の受験資格の認定を受ける。 |
平成11年 9月 | 自動車工学科の定員50名を定員75名に変更。 |
平成14年 4月 | マルチメディア科をIT科と科名変更。 |
平成17年4月 | 自動車工学科の定員75名を定員90名に変更。 |
平成19年4月 | KUCユニバーサルカレッジを鹿児島工学院専門学校と校名変更。IT科を情報デザイン科(Webデザインコース・放送デザインコース)、総合電気工学科を電気技術工学科と科名変更。 |
平成24年4月 | 自動車工学科の定員90名を定員50名に変更。 |